
2026.01.28
毎日見ているはずの風景でも、立ち止まって眺めてみると、少し違って見えることがあります。東吾妻町出身の映像ディレクター・石村隆徳さんは、そんな日常の風景を、静かに見つめ直してきました。
順風満帆とは言えなかった若い頃。迷いながら、立ち止まりながら、それでも映像と向き合い続けてきた時間があります。
そして気づいたのは、映像は何かを誇示するためのものではなく、誰かの心にそっと残るための「手段」だということでした。
石村さんがカメラを向けるのは、観光名所だけではありません。道路の音、川の流れ、人の暮らしがにじむ景色。この町で生きてきた人にとって、懐かしく、これから出会う人にとっては新しい。そんな東吾妻町の姿を、彼の視点からお届けします。
(石:石村隆徳さん イ:インタビュア)

イ:マイロックタウンの東吾妻町プロモーション動画を制作中と伺いました。どのような内容ですか?
石村:今作っているのは、「東吾妻町を空から見てみよう」というコンセプトの動画です。ドローンで東吾妻町の5地区(原町・岩島・太田・坂上・東)を空撮して、「自分たちの町って、こういう形をしているんだ」と改めて分かる映像にしています。さらに空撮だけでなく、各地区を象徴する“ワンアイテム”も地上で撮影しています。例えば岩島なら吾妻峡、原町なら槻木、そして観音山(周辺の滝)などです。空から俯瞰し、地上で象徴を押さえる――そんな構成にしています。
イ:空撮は新しい表現のようにも感じますが、その発想はどこから生まれたのですか?
石村:各地区の公民館などに昔から航空写真って必ずあるんですよね。飛行機から撮ったような俯瞰の写真。これの現代版がドローン撮影をメインとした動画だと思いました。東吾妻町は“展望できる場所”が意外と少ない。昭和村や高山村のようにまち全体を見渡せる場所がある地域もありますが、東吾妻町は谷地形で、全体を一望できるポイントが限られています。岩櫃山に登れば見渡せますが、それでも町の全体像が一度に見えるわけではありません。だからこそ、空撮で全地区を撮影することで、住民の皆さんが「自分たちの町はこうなっているんだ」と体感できる映像になると思いました。実際、私自身も住んでいながら“自分の町を俯瞰で見たことがなかった”んです。
イ:撮影の手応えはいかがですか?
石村:あります。東吾妻町は“マイロックタウン”ということで“岩”を見せたいという意図もあり、撮影時期を12月にしたのは正解でした。木々の葉が落ちて岩肌がきれいに見えますからね。それから動画はドローン撮影による空中散歩の他に生活というテーマもありました。ですから通常の観光PR動画と異なり、生活圏に近い場所をあえて選んで撮影を行っています。海やアクティビティなどキラキラした映像は入っていませんが、マイロックタウンで暮らす人々の息遣いが伝わるような作品になっていると思います。
イ:確かに冬は見頃が少ないようでいて、岩や地形、ハイキングコースの筋がはっきり見えますよね。観光PRとは違う、地域の暮らしを俯瞰する映像なんですね。完成が楽しみです。

イ:石村さんは子どもの頃、どんなふうに過ごしていましたか?
石村:出身は東吾妻町の岩島地区です。歴史好きな子供でした。週刊少年ジャンプを読む前に、漫画・武田信玄を読んでいました。これは完全に父親の影響です。歴史ゲームも好きでコーエー(ゲーム会社)の『信長の野望』と『三国志』をやりこんでいました。今でも『大航海時代』をスマホでやっています。高校は中之条高校(現・吾妻中央高校)を卒業しました。正直、20代前半までは“ふわふわしていた”と思います。高校卒業後は公務員系の専門学校に進みましたが、「東京に行ってみたい」という気持ちが強くなって、1年で区切りをつけて上京しました。
イ:上京してからのことをお聞きしてもよろしいでしょうか?
石村:目的がはっきりしていなかったので、しばらくはフリーター生活でした。最初は杉並に住み、その後は池袋周辺にも。杉並は東吾妻町と縁がある地域で、交流もあったので心理的に近く感じたのかもしれません。ただ、当時は映像の仕事を「なんとなくやりたい」程度の気持ちで。フリーターを続ける中で「このままじゃまずい」と思い、映像の専門学校に通うことにしました。
イ:もともと映像には興味があったのでしょうか?
石村:これも歴史好きが関係していて『天と地と』(角川映画:1990年)という映画を、ビデオテープが擦り切れるほど繰り返し観ていて、それがきっかけで映画そのものが大好きになりました。
イ:専門学校を出たら、映像の仕事に就かれたのでしょうか?
石村:それが、また一度迷ってしまって。学校に通っているうちに「作るより見る方が楽しいかも」と感じて、結局就職せず群馬に戻りました。東京にいたのはトータルで5~6年くらい。地元が好きだから帰ったというより、東京での生活がしんどくなったという理由の方が大きいです。
イ:群馬に戻ってからはどんなことをされていましたか?
石村:20代前半は仕事が続かず、転職も多かったですね。そんな中で27歳のとき、「映像をやるなら今しかない。これがラストチャンスだ」と思い立ち、群馬県内の映像制作会社に飛び込みました。そこから現在に至ります。
ブライダル映像が“土台”になった

イ:念願の映像の仕事だと思いますが、どんなことをされていたのでしょうか?
石村:もともとはテレビ番組制作やCMなどをやりたいと思っていました。でも入社してすぐに「ブライダル担当をやれ」と言われて、結婚式場の映像責任者になりました。テレビ番組制作とは全く違って、接客業に近い。スーツを着て、一般のお客様と向き合い、クオリティ以上に信頼が大事になる。清潔感や言葉遣いも含めて“人として見られる”世界なんですよね。
イ:「映像を作る」と思って、仕事を始めたらコミュニケーション力が問われる環境になったのですね。
石村:正直、最初は好きじゃなかったです。でも僕は27歳で崖っぷちから始めているので、嫌だから辞めるという選択肢がなかった。やるしかない。続けるうちに、仲間ができて、式場で働く面白さも分かってきました。ブライダルの映像制作にはオールマイティな能力が求められます。打ち合わせでは企画提案を行い、結婚式ではカメラマンにもなります。もちろん編集作業もやりますし、商品開発や販売促進など営業マンとしてのスキルも必要です。それからチームで動く大切さと楽しさもこの時に学びました。今振り返ると、ブライダルでの経験が“土台”になっていると感じます。

イ:今、石村さんにとって“良い映像”とはどんなものでしょうか?
石村:僕の場合は、やっぱり「人に喜ばれる」「ありがとうと言われる」映像です。相手がいて、相手の目的がある。そこに応えるのが自分の役割だと思っています。僕の場合はスタートが遅かった分、東京の最前線の映像表現と同じ土俵で勝負するのは難しい。だから自分は、映像×東吾妻町に特化していこうと思いました。掛け算で自分の立ち位置を作った感じです。
イ:活動の原点は、生原観音堂のしだれ桜だと聞きました。
石村:子どもの頃、親に連れられてよく遊びに来ていた場所です。小さい頃は当たり前すぎて、ただ大きい木だな、くらいでした。でも地域の情報発信を始めて、改めてその場所に行ったとき、桜の樹勢が昔より衰えているのが分かった。遠目には綺麗だけど、近くで見ると傷んでいる部分がある。そのとき「自分は今まで地域に目を向けていなかった」と強く感じました。それまでの地域活動は、映像ディレクターとして食べていくための生存戦略として始めた面が大きかった。でも桜を見てから、気持ちの主体が「自分のため」から「町のため」に変わっていったんです。
イ:撮るものも変わりましたか?
石村:変わりました。以前は桜や橋など“分かりやすい被写体”が中心だったけど、今は日常の風景、道路、暮らしの気配を撮るようになった。記録として残す意識が強くなりました。

イ:記録として風景を撮り続ける理由は何でしょうか?
石村:例えば、みなさんが何となく見たことある昭和初期とかの映像って、誰が撮ったか分からないし、編集も派手じゃない。でも“時間”が最大の味方になって、今ものすごい価値になっている。僕は特別な才能があるとは思っていない。だからこそ、自分ができるのは、今の風景を”記録として残しておく”ことだと思っています。今すぐ価値が出なくても、30年後、100年後、300年後に誰かの役に立つかもしれない。僕がその価値を実感する頃には、僕はいないかもしれないけれど、それでもいいと思えるようになりました。
イ:町内を撮影し、発信を続ける中で、東吾妻町らしさを感じたことは何かありますか?
石村:住んでいる人たちの帰属意識がすごく強いと感じました。5地区プラス榛名開拓地、それぞれに思い入れがある。それは町の形が理由なんだと思います。東吾妻町の東西には吾妻川に沿うようにして真田街道があります。対岸の金井、植栗、箱島には1000年以上の歴史を誇る神社があり、これらを繋ぐように当時の幹線道路があったとも言われ、実際に川戸の下郷古墳群からは古代の道路遺構が発見されました。町の南北には信州街道があり坂上地区には宿場町が三つもあります。榛名山麓の地域は江戸時代や昭和初期に拓かれました。時代も成り立ちも違う小さな町が一つになったのが東吾妻町で、そんな町だからこそ地域でたくさんのストーリーが大切にされている。これが東吾妻町らしさだと思います。

イ:東吾妻町で好きなところは?
石村:すごく雰囲気の話になりますけど、東吾妻って耳を澄ますと、いつも「コオォォォ…」という音がしているんです。これはおそらく谷風の音だと思います。他にも、川の音、生き物の音、車の音。無音じゃない。いま僕は東吾妻町と高崎市で二拠点生活をしているのですが、少し離れているからこそ“故郷の音”としてよく分かる。東吾妻町は草津温泉など観光地への経由地点としての役割もあるため交通量も多く、車の音はうるさいと感じる時もある。けれども、なくなったら寂しく感じるに違いない。川の音、風の音、車の音まで含めた、雑多さを含んだ田舎の空気感が好きです。だからこそ、自然だけじゃなくて原町バイパス沿いみたいな“町の顔”も撮っておきたい。「田舎の風景だけ」を切り取ると、逆に嘘になってしまう。自然も、生活も、道も、全部含めて東吾妻町だと思っています。
イ:最後に今後の目標はなにかありますか?
石村:今回、東吾妻町のプロモーション動画を制作できたことは映像ディレクターとして夢が一つ叶ったと感じています。そして完成した動画を何度も見返している自分がそこにいました。その時に改めて僕は東吾妻町が好きなんだと思ったし、町民の皆さんもこれを見て同じ気持ちになってくれるんじゃないかなと思いました。僕の原点をブライダルだとすると映像を届ける先に誰がいるかを意識することが大切です。これまでは東吾妻町の情報を外に発信することで地域貢献を果たしてきたつもりですが、今後は町民の皆さんの方を向いて活動しても面白いのかなと思っています。情報発信に限らず様々な取り組みにチャレンジしていきたいと思います。最後に、東吾妻町プロモーション動画の作成にあたり、おらがまちプロジェクトの皆さん、東吾妻町役場、ご出演いただいた方、撮影許可をいただいた町民の皆様、会社の制作チームなど多くのご協力がありました。本当にありがとうございました。

石村隆徳(いしむら たかのり) 東吾妻町出身の映像ディレクター。「田舎の風景をお届けします」をキャッチフレーズに、前橋の映像制作会社で観光PR動画やブライダル映像を手掛ける。 地域活動としてSNSで東吾妻町の魅力を発信し、官民共創プロジェクト「おらがまちづくりプロジェクト」ではオブザーバーを務める。 また、地域の歴史研究会「あざみの会」に所属し、「明治〜大正期の岩島競馬」や「幕末の蘭方医・高橋元貞(たかはしげんてい)」などの歴史を調査している。
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